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神戸地方裁判所姫路支部 昭和43年(ワ)365号 判決 1974年4月26日

原告 甲野太郎

<ほか三名>

右四名訴訟代理人弁護士 城戸寛

被告 井上来太

<ほか二名>

右三名訴訟代理人弁護士 岡野冨士松

同 橋本武

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告ら

被告らは各自、原告甲野一郎に対し金三、五三四万二、三八六円および内金二、六六九万一、六七〇円に対する昭和四一年二月七日から、内金七六五万七一六円に対する昭和四八年一〇月一八日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を、原告甲野太郎、甲野花子に対し各二〇〇万円および各内金一〇〇万円に対する昭和四一年二月七日から、各内金一〇〇万円に対する昭和四八年一〇月一八日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を、原告甲野春子に対し金一〇〇万円およびこれに対する訴状送達の日の翌日(被告井上、同幸田は昭和四三年一二月一六日、同佐藤は同月一七日)から各完済に至るまで年五分の割合による金員を各支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言。

二、被告ら

主文と同旨の判決。

第二、当事者の主張

(請求の原因)

一、当事者

原告甲野一郎(以下単に一郎ということがある)は、原告甲野太郎、同甲野花子の長男であり、同甲野春子は、その長女である。

被告井上来太は産婦人科医院を、同佐藤国男は小児科医院を、同幸田勇一郎は内科・小児科医院をそれぞれ肩書住所地において開業している医師である。

二、原告一郎の病状および診療経過

(一)、原告一郎は、昭和四一年一月二九日午前六時被告井上来太の医院において鉗子分娩により出生した。出生当初の体重は三、四〇〇グラムの新生児で身体に何ら異常はみられなかった。なお、同原告の血液型はA型、原告花子のそれはO型で、ABO式母子血液型不適合であった。

(二)、原告一郎は、出生後早発黄だんがみられ、かつ、黄だんが強く、哺乳力微弱で無欲状、嗜眠状、四肢の筋緊張の低下、運動の減少、モロー反射の減弱、などの症状が発現し、それが順次強まり、退院時の同年二月五日にはその体重は三〇〇〇グラムに減少した。

(三)、原告花子らは、被告井上に対し右症状を訴え診療をもとめたが、同被告は、一郎の黄だんは生理的黄だんであり大丈夫であるとくり返すのみで、それ以上の診察をせず、これに対する治療をしなかった。しかし、原告花子らの強い要求に従って、被告井上は同年二月五日被告佐藤を紹介して診察を受けしめ、同被告の原告一郎の黄だんは生理的なもので心配いらないとの診断により同日退院せしめた。

(四)、被告佐藤は、二月五日に被告井上の紹介により一郎を診察したが、原告花子の前記症状の訴えにもかかわらず、簡単に望診したのみで、生理的黄だんと診断し、ビタミン注射を被告井上に指示しただけである。

(五)、被告幸田は、同月六日に往診して一郎を診察したが、無欲状、嗜眠状を訴えたにもかかわらず、「生まれつき生活力のない赤ん坊もありますので」といって注射したのみである。

(六)、然るに、同月七日原告一郎の症状が変化しないので訴外戸田小児科医に診察を求めたところ入院治療を勧められ、同日午後一時頃姫路日赤病院に入院した。直ちに同所において診察を受けたところ、新生児溶血性疾患からくる核黄だんですでに手遅れの状態であるとの診断をうけた。すなわち、その当時は、間接ビリルビン値三七ミリグラム・デシリットル、総ビリルビン値三九ミリグラム・デシリットルで、コーヒー様嘔吐、落陽現象および後弓反張を示す症状であった。そして同病院で引続き入院治療を受けたが、脳性麻痺で治ゆする見込はない旨の診断をされた。

(七)、原告一郎は、日赤病院を同年四月一三日に退院し、引続き姫路国立病院、淀川キリスト教病院などで入院通院治療をうけ、現在自宅療養を続けているが、寝たきりのため頭は極度にゆがみ、小児弛緩性両麻痺のため、言うこと、座ること、立つことは勿論寝返りすらできず、障害の程度は著しく、身体障害者福祉法の第一級に該当する。これは、核黄だんの後遺症としての重症脳性麻痺による障害である。

三、被告らの責任

(Ⅰ) 原告一郎に対する責任

イ、診療契約

(一)、原告一郎は、昭和四一年一月二九日出生に際し、原告太郎、同花子を法定代理人として被告井上に対し、新生児としての健全な発育を阻害する原因があるときはこれに医療行為その他の措置を施してこれを除去すべきことを委託し、同被告はこれを承諾した。

(二)、原告一郎は、同年二月五日原告花子を法定代理人として被告佐藤に対し、その容態についての診断とこれに対する適切な医療行為その他の措置を施すべきことを委託し、同被告はこれを承諾した。

(三)、原告一郎は、同月六日原告花子を法定代理人として被告幸田に対し、前(二)同様の委託をなし、同被告はこれを承諾した。

ロ、被告らの過失

(一)、原告一郎は、新生児溶血性疾患―核黄だん―脳性麻痺による後遺症を遺しているものというべきである。このことは、間接ビリルビン値が三七ミリグラム・デシリットルの高きに達したこと、落陽現象、後弓反張、コーヒー様嘔吐の核黄だん症状(プラーの第二期症状)が認められたこと、脳性麻痺の型がアテトーゼ型核黄だんによる脳性麻痺にしばしば見られる多汗があったことからみて明らかである。かりに、原告一郎が新生児溶血性疾患によらず他の原因(特発性高ビリルビン血症、遷延性黄だん等)(その外脳性麻痺の原因として無酸素性脳障害、頭蓋内出血、低血糖症もその原因になるとしても原告一郎にはこれらの症状はなかったから核黄だん以外の原因は考えられない。)で核黄だん―脳性麻痺となったとしても、その原因が何れであれ、被告らには、原告一郎に強い黄だん、四肢の筋緊張の低下、運動の減少、哺乳力の減弱(吸啜反射微弱)モロー反射の減弱、嗜眠等(プラーの第一期症状)がみられて核黄だんの危険がせまっているときは、これを察知しただちに設備のある病院へ転院せしめ、適確なる診断にもとづき交換輸血を行なうなどして原告一郎の核黄だんを予防し、ひいては脳性麻痺の後遺症を遺すことのないよう診断し、治療し又は転医せしめるべき診療義務ないし注意義務があった。

(二)、特に、被告井上は、原告一郎にプラーの第一期症状が生後三―五日に発現し二、三日継続していたのにかかわらずいささかも疑問を持たず、これを傍観してその原因の究明と適切な措置を講ずることなくして放置した過失により黄だんの早期発現と増強をみすごし、原告一郎をして前叙のとおりの結果を将来させた。しかも、原告一郎の両親らがその症状に不安を感じ入念な診察を求めても、単に生理的黄だんであるから心配は要らぬと称して十分な診察を行なわず遂に交換輸血の時期を逸せしめ、よって原告一郎をして核黄だん―脳性麻痺にかからしめた。

(三)、被告佐藤、同幸田は、同れも原告一郎をそれぞれ診察したとき、原告一郎は前叙のとおりの症状にあり素人にもそれと判る程病状が悪化し既にプラーの第一期の終りあるいは第二期のはじめの症状にあったにもかかわらず、これをみすごし、単純に生理黄だんなりと診断し適切な措置を怠った過失により被告井上同様前示のとおり原告一郎をして右重症脳性麻痺にかからしめた。かりに、この段階で交換輸血の治療を施しても既に脳性麻痺を食止めることができなかったかも知れないが、この時点においてこれを施行していたとすれば軽度の脳性麻痺で食止めることができた筈である。

ハ、債務不履行

原告一郎の重症脳性麻痺はいずれも被告らの右ロ記載の診療契約上の債務不履行によるものであるから、被告らは原告一郎の後遺症による後記損害を賠償する責任がある。

ニ、不法行為

また一方、被告らは医師に課せられた注意義務にも違反したものというべきであり、それにより一郎の後遺症を生じさせたのであるから、原告一郎の後記損害につき不法行為による賠償責任がある。

(Ⅱ)、原告太郎、同花子、同春子に対する責任

右のとおり原告一郎をして脳性麻痺による廃人の生活を余儀なくされ、原告太郎、同花子は父母として原告春子は妹として一生その悲惨な姿を見これを看護して暮さねばならぬ、その精神的苦痛は極めて大きい。これも、右被告らの原告一郎に対する責任と同様の理由で賠償義務がある。

(Ⅲ)、損害賠償請求権の成立時期

なお、右債務不履行もしくは不法行為の成立時は原告一郎が日赤病院に入院した昭和四一年二月七日である。

四、損害

(一)、原告一郎

(1)、うべかりし利益 一、九四九万五、六六六円

原告一郎が脳性麻痺でなければ満一八歳から六三歳まで四五年間労働可能であるところ、昭和四六年度賃金センサスによれば男子労働者の年令別平均収入は別表一のとおりであり、右原告の年令別ホフマン係数は別表二のとおりであるから、右一、二から計算すると、うべかりし利益の現価(訴提起時二歳の時)は別表三のとおり、一、九四九万五、六六六円である。

(2)、看護料 九八四万六、七二〇円

原告一郎は脳性麻痺で一生看護人を要することが明らかで、男子平均寿命六三歳、看護人一人当り日当一、〇〇〇円として、ホフマン式により計算すると、九八四万六、七二〇円である。

(3)、慰藉料 六〇〇万円

原告一郎は一生寝たきりで、食事は管を通して流動物を流しこんでもらっており、健康状態は極めて悪く、その外前示第二項(七)において述べたとおりでその苦痛は言語に絶する。右苦痛に対する慰藉料としては六〇〇万円が相当である。

(二)、原告太郎、同花子、同春子

慰藉料 原告太郎、同花子各二〇〇万円、同春子一〇〇万円

原告太郎、同花子は一郎の父母として、同春子は妹として一郎の悲惨な姿をみながらこれを看護して暮さなければならず、その精神的苦痛は極めて大きく、その慰藉料は原告太郎、同花子に対しては各二〇〇万円、同春子に対しては一〇〇万円が相当である。

五、よって、原告らは被告らに対し、債務不履行もしくは不法行為による損害賠償として、前記損害額および原告一郎の損害額の内金二、六六九万一、六七〇円、原告太郎、同花子の損害額の各内金一〇〇万円に対する債務不履行ないし不法行為成立時たる昭和四一年二月七日から、原告一郎の内金七六五万七一六円、原告太郎、同花子の各内金一〇〇万円に対する訴変更申立書送達の日の翌日たる昭和四八年一〇月一八日から、原告春子の損害金一〇〇万円に対する訴状送達の日の翌日(被告井上、同幸田は昭和四三年一二月一六日、同佐藤は同月一七日)から各完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。(請求原因に対する被告らの答弁)

一、請求原因第一項は認める。

二、被告井上につき、同第二項(一)のうち前段は認め、後段は不知。同(二)は否認する。同(三)のうち被告佐藤に紹介し、同日退院したことは認め、その余は否認する。同(四)のうち被告佐藤から生理的黄だんであるといわれ、ビタミン注射の指示があったことは認め、その余は不知。同(五)、(六)、(七)は不知。

被告佐藤につき、同(一)のうち前段は認め、後段は不知。同(二)は否認する。同(三)のうち被告井上から紹介があったことは認め、その余は不知。同(四)のうち生理的黄だんと診断し、被告井上にビタミン注射を指示したとの点は認め、その余は否認する。同(五)、(六)、(七)は不知。

被告幸田につき、同(一)のうち前段は認め、後段は不知。同(二)は否認する。同(三)、(四)は不知。同(五)のうち往診して注射をした点は認め、その余は否認する。同(六)、(七)は不知。

三、同第三項中、原告一郎の病状については否認、その余は争う。

四、同第四、五項は争う。

(被告らの主張)

一、被告らの診療

(一)、被告井上は、一月二九日一郎の出生以来二月五日の退院まで毎日回診し、母子の経過について細心の注意をもって観察したが、新生児に泣き声、哺乳力その他に異常を認めず、嘔吐、痙れん等病的な症状はなく、モロー反射も保持され、筋肉の緊張も良好で落陽現象等は認められなかった。黄だんは生後三日目より発生したが、早期黄だんではなく、発生後二日間はイクテロメーター値二で、その後退院の日までは二ないし三の強さであり、日の経過とともに増強するような傾向はなく、生理的黄だんの範囲で病的な黄だんとは認められず、無欲状、嗜眠状という状態は全くなかった。体重も出生時三、四〇〇グラムであったのが退院時三、〇〇〇グラムに減少したけれども、この程度は一般的に認められる生理的な状態であり病患によるものではない。このように全く憂慮すべき状態ではなかったが、原告花子が黄だんに関し不安がるので小児科専門医の診察を求めることとし、二月五日被告佐藤に紹介したのである。その結果は新生児の生理的黄だんで心配ないということで、一郎は退院した。

(二)、被告佐藤は、二月五日被告井上から黄だんその他一般状態について小児科的診察をされたいとの紹介があったので特に詳細に診察したところ、母花子は三日前から額が黄色くなってきたこと、乳の飲み方が少なく、少し眠りが悪いと答えたが、顔貌、皮下組織、体格等に異常を認めず、哺乳力も生理的体重減少を考慮すると普通の状態であり、黄だんもイクテロメーター値二・五ないし三の中間程度のもので、生理的黄だんと確診した。

(三)、被告幸田は、二月六日往診したが、生理的な新生児黄だんの中程度のものであり、哺乳力の減退度は正常よりやや少ないという程度で、発熱もなく、便も正常とのことで病的な黄だんとは考えられず、核黄だんの症状等は認められなかった。また、原告花子は黄だんと哺乳力の減少のみを訴えたが、その余のことは全然説明はしていない。

二、新生児溶血性疾患は、母子血液型不適合にもとづく疾患であるが、Rh型不適合に比し、ABO型不適合によるものは発生頻度は低い。右疾患は、早発性黄だんをみるところ、一郎にはこれら症状が認められないからこれに罹患したとはいえない。また脳性麻痺は核黄だんが原因となって起きることもあるが、他に脳無酸素症、脳内出血等の脳障害の原因により発生するものであるところ、一郎にも新生児メレナ様症状が発現していて出血性疾患素因を有していたことなどからして、脳障害があったことも考えられる。黄だんがあっても右無酸素症や、脳内出血等の脳障害が合併しているような場合には、交換輸血をしても脳性麻痺を防止することはできないものである。

三、被告らの診察後の一郎の症状経過は異常なものである。すなわち、被告らの診察では黄だんもイクテロメーター三程度でありその他の症状にも核黄だんを疑わせるものは認められなかった。然るに一郎が同月七日に日赤病院へ入院した当時においてはその血清ビリルビン値および臨床症状が異常に悪化していることは全く特殊である。その経過等がきわめて異常な症例についてまで被告らに過失ありとはとうていできないものである。

四、また、医師の責任を問うに当っては、その地方の一般的水準及び大病院の勤務者か一般開業医か、更には新生児に関し特に研究をしている真に専門家かどうかをも考慮に入れて判断しなければならないところ、昭和四一年二月当時の姫路地方における一般開業医の医療水準では、血清ビリルビン値測定の設備は勿論、交換輸血の物的人的設備もなく、交換輸血などの知識も必ずしも十分に普及しておらず、その先例も姫路日赤病院(一例)、国立姫路病院(三例)でわずかの事例があったに過ぎず、同病院においても他からのビリルビン値測定の需にも応じていなかった。このように核黄だんの早期発見、治療は期待できない状態であるのに、一開業医である被告らに右のとおりの異常症例に当る一郎の核黄だんの診断をしなかったからとてその責に帰すべき事由ないし過失ありとは為し得ない。

五、損害額はその発生時を標準とすべきところ、原告らは債務不履行ないし不法行為の時期を昭和四一年二月七日と主張するのであるから、同時期を標準として算定すべきである。また原告春子は一郎の妹で、昭和四二年三月一八日出生したものであるから、本件請求はそれ自体なんら理由がない。

(被告らの主張に対する原告らの認否)

被告らの主張はいずれも否認する。

特に、当時においては母子血液型不適合等による核黄だんについての知識は刊行物等により一般に十分知られていたことであり、交換輸血の施術も行われていたものである。従って、被告らも十分その知識を持っていた。

第三、証拠≪省略≫

理由

一、原告ら主張の第一項の事実は、当事者間に争いがない。

そして、後記のとおり被告らが原告一郎を診療した事実から、原告一郎は、原告太郎、同花子を法定代理人として昭和四一年一月二九日産婦人科医師である被告井上と、原告花子を法定代理人として、同年二月五日小児科医師である被告佐藤と、同月六日内科・小児科医師である被告幸田とそれぞれ原告ら主張の内容の診療契約を締結したことが認められる。

二、被告ら医院における原告一郎の病状および診療経過について

(一)、原告花子が昭和四一年一月二九日一郎を出産したこと、出産は鉗子娩出術によったこと、一郎は出生当初体重三、四〇〇グラムの新生児で身体に異常がなかったこと、一郎の黄だんの診療について二月五日被告井上が同佐藤に紹介したこと、生理的黄だんで心配いらないということで同日被告井上医院を退院したことはいずれも当事者間に争いがない。

(二)、右争いない事実と≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

(1)、原告花子は、当時三二才の初産婦で、出産予定日は昭和四一年二月二四日であったが、一月二九日午前六時に被告井上産婦人科医院において原告一郎を出産したこと。一郎は、生下時の体重が三、四〇〇グラムの成熟児であったこと。

(2)、出産は陣痛微弱のため鉗子分娩であったが、仮死はなかったこと。

(3)、原告花子の血液型がO型、一郎がA型のABO式血液型母子不適合であったこと。

(4)、一郎の体重は、出生時三、四〇〇グラムであったが、二日目三、二〇〇グラム、三、四日目各三、一〇〇グラム、五ないし八日目各三、〇〇〇グラムであり、減少、横ばいの状態であったこと。

(5)、一郎は、生後六日目に七度五分の発熱をみたため沐浴を中止したが、同日夕方には六度四分に下がったこと。

(6)、一月三一日(生後三日目)、一郎に黄だんの発生が認められ、その後しだいに増強したが、被告井上は、右黄だんはイクテロメーター値二ないし三程度であり、生理的黄だんの強い方だと判断していたこと。

(7)、新生児一郎は、出生後母花子と同室で保育され、原告太郎、同原告の姉春子らが附添っていたこと。

(8)、一郎は、哺乳力が弱く、あまり乳を飲まないし、眠りがちである旨原告花子が被告らに訴えていたこと。

(9)、被告井上は、一郎の入院中毎日回診し、一郎の容態に特に異常を認めず、黄だんについても生理的黄だんの強いものと考えていたが、二月五日退院の日に、原告花子の訴えにより小児科医師被告佐藤に紹介して一郎を診察させたが、被告佐藤から特に異常ある旨の報告もなく、黄だんについて生理的黄だんである旨の回答をうけ、同被告の指示によりビタミンB1、Cの注射をしたのみで、原告花子に対し異常があれば連絡するよう告げた上退院させたこと。

(10)、被告佐藤は、二月五日午前一一時ころ自己の経営する小児科医院の診察室において、被告井上の紹介で原告花子が連れてきた一郎をその訴にもとづき診察したが、黄だんはイクテロメーター値二、五―三程度で生理的黄だんと考え唯、黄だんの遷延に注意するよう診断し、被告井上及び原告花子に対しその旨を告げビタミンの注射を依頼したこと。

(11)、被告幸田は、二月六日午前九時ころ、原告花子の訴えで往診し一郎を診察したが、黄だんは中程度と考え、ビタミンB1Cを注射したこと。

(12)、被告らは、いずれも以上のほか、一郎に嘔吐、発熱、痙性、後弓反張、落陽現象その他の顕著な症状を認めず、核黄だんの疑いは持たず、血清ビリルビン値の測定、交換輸血の措置はもちろん、右の設備のある病院へ転院する指示なども全くしなかったこと。

(13)、被告らの右診断にもかかわらず、一郎は乳をあまり飲まず、身体がぐったりしているので、原告花子は二月七日午前、内科小児科医師戸田静子の往診を求めたところ、同医師は黄だんも強く、部屋も寒く、看護者も十分でない上回診も不便であると認め、これ以上原告宅で一郎を保育管理していたのでは到底いけないと判断し、入院をすすめたこと。

三、原告一郎の姫路日赤病院へ転院以後の経過について

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

(一)、二月七日午後二時半ごろ姫路日赤病院へ入院直後、同病院小児科医長本郷寛美が一郎を診察したところ、黄だんが非常に強く、イクテロメーター値五で血清ビリルビン値は間接ビリルビン値が三七ミリグラム・デシリットル総ビリルビン値三九ミリグラム・デシリットルであり、強直、視線の凝視、落陽現象、後弓反張がみられ、哺乳力なく、嘔吐も強く、体重は二、六四六グラムであった。同医師は、核黄だんの症状であるが一郎の容態が非常に悪いので、交換輸血はできないと判断し病状の回復にのみ専念したこと。

(二)、その後痙れん、下血、呼吸不整、顔面チアノーゼなどの症状がみられるようになり、黄だんも二月一一日ごろにはイクテロメーター値三程度になったがなお全身著明であったこと、下血、嘔吐は三月になってもまたくり返えされていたこと。

(三)、同病院では、小児科医である副院長山本又一らも一郎を診察し、前記症状から溶血性黄だん(重症黄だん)、メレナ、貧血、脳性麻痺と診断のうえ、各種の注射、点滴、輸血を行ない続けたこと。

(四)、一郎は、右症状、治療をくりかえして、哺乳力もつき、体重も三、〇四〇グラムに回復したので同年四月一三日同病院を退院したこと

(五)、一郎は、同日さらに四肢硬直、右内反足の治療のため国立姫路病院に入院した。同病院でも脳性麻痺と診断され、抗痙れん剤、喘鳴、嘔吐に対する薬の投与等及びヘルニアの外科治療などを受け同年八月二九日退院し、以後同病院に通院治療を継続して受けたこと。

(六)、その後一郎は、昭和四三年六月一七日から八月二六日まで淀川キリスト教病院に入院して、脳性麻痺の治療をうけたこと。

四、原告一郎の障害

≪証拠省略≫を総合すると、次のことが認められる。

(一)、一郎は起立、寝返、坐位不能、全身時に強直となり、四肢の運動不自由で、睡眠障害、痙れん発作も発来し、哺乳不能でチューブによる強制哺乳を続けており、ことばも言えず、家人の付添、看護が必要であること。

(二)、右は脳性麻痺による障害であり、一生治ゆする見込みはないものである。身体障害者保護法別表第五号の二に謂う一級の重度身体障害者である。

五、核黄だんについて

≪証拠省略≫を総合すると、次のことが認められる。

核黄だんは、新生児期の高間接ビリルビン血症の結果おこるものであり、その基礎疾患としては、特発性高ビリルビン血症、血液型不適合の新生児溶血性疾患、遺伝性溶血症候群、薬物による溶血性貧血が考えられる。特に新生児溶血性疾患は他の場合と異なり生後二四時間以内に発現をみる早発黄だんが特徴である。そしてその症状は、筋緊張の低下、嗜眠、吸啜反射減弱を主徴とする時期、これを第一期、痙性症状、発熱を主徴とする時期これを第二期、痙性症状の消退期これを第三期とし、恒久的な錐体外路系症状の発現する時期を第四期とする。

核黄だんはこれを放置すると脳性麻痺を遺す。なお、脳性麻痺は脳無酸素症、無糖症、脳内出血その他の脳障害、妊娠中毒、ウイルス性疾患又はこれらの合併症が原因となって起る場合がある。

核黄だんは早期の交換輸血によって治癒する。その時期は、右第一期ないし第二期のはじめの段階で間接ビリルビン値が二〇ミリグラム・デシリットル以上になった場合にこれを行なえば脳性麻痺などの後遺症を防止し、又はその程度を軽度に抑えることができる。

六、原告一郎の脳性麻痺について

≪証拠省略≫に前記一郎の症状、経過を総合すると、次のことが認められる。

(一)、一般に、脳性麻痺の原因としては、(1)核黄だん、(2)無酸素性脳障害、(3)頭蓋内出血、(4)低血糖症等が考えられる。

(二)、原告一郎の本件脳性麻痺は、核黄だんに罹患したことが原因であると認められる。もっとも、その核黄だんの原因については、ABO式血液型母子不適合が認められるけれども、早発黄だん(二四時間以内に発生)の発生をみたか否か不明である(積極的資料は、原告花子の二日目に夫が黄色いと云っていた旨の供述、原告太郎の同様の供述しかない。)ことその他から、結局新生児溶血性疾患にもとづく核黄だんであるか、それ以外の原因にもとづくものであるかは不明である。

(三)、原告一郎の脳性麻痺の原因が核黄だんではあるが唯それのみが原因であるとも云い切れない。すなわち、原告一郎の脳性麻痺の病型が両麻痺と片麻痺の合併型であること、泣かない、乳が十分飲めないといった症状などから、生下時に多少の脳障害(頭蓋内出血など)があったことも考えられる。結局、原告一郎の脳性麻痺の原因は核黄だんが主であるが、これと並んでそれ以外の頭部疾患による原因が合併して生じたものと認めるのが相当である。

(四)、核黄だんについては適切な時期の交換輸血によってこれを防止することができるが、核黄だん以外の原因による脳障害については交換輸血等によってこれを防止、治療することが不可能であって、将来いくらかの脳障害後遺症を避けることができないものである。

七、因果関係について

右にみたとおり、原告一郎の脳性麻痺の原因は核黄だんと核黄だん以外の原因が併存して生じたものであり、核黄だんのしめる割合がきわめて大きいものである。そして、核黄だんはその第一期症状のうちに交換輸血をしておれば、それによる脳性麻痺を防止することができ、その第二期症状の初期に交換輸血をしておれば軽度の脳性麻痺で済んでいたものである。原告花子は原告一郎を第一期症状のうち(第二期症状の発現前)に被告らに対していずれも診療を求めたのであり、被告らが医師として原告一郎に核黄だんの発生を予知し、設備のある病院へ送り込み、血液中の間接ビリルビン値の測定・交換輸血の措置をとっておれば、原告一郎は現在のような重症の脳性麻痺になっていなかったのにかかわらず、被告らはいずれも核黄だんの発生を予知せず右の措置をとらなかったためにその時期を失し、右の結果を防止できなかったものである。したがって、本件被告らの右不作為(以下被告の本件診療行為という)と原告一郎の重症脳性麻痺との間には因果関係があるものと認められる。

八、被告らの帰責事由(ないし過失)の有無について

被告らは、本件診療契約により原告一郎に対し、適切な診断・治療等の措置をなすべき義務を負うものであるが、右認定のとおり、被告らの本件診療行為と原告一郎の脳性麻痺との間には因果関係の存在が認められるのであるから、被告らは、各自の本件診療行為がその当時の医療水準に照らして相当のものであり、被告の責めに帰すべき事由の存しないことを立証しない限り、診療契約上の債務不履行の責任はまぬかれないものである。そこで以下に、各被告の帰責事由(ないし過失)の有無について検討する。

(一)、被告佐藤について

≪証拠省略≫によれば、被告佐藤は昭和四一年二月五日(生後八日目)午前一一時ころ、被告井上の紹介により自己の小児科医院診察室において原告花子の乳の飲み方が少ない、黄だんがきついとの訴えにもとづき一郎を一〇分ないし一五分間診察したものであるが、一郎は生下時の体重が三、四〇〇グラムの成熟児で、鉗子分娩であったが仮死はなく、母乳栄養であり、生後三日目より黄だんが発生したもので早発黄だんのなかったことなどを問診により知り、イクテロメーター値は二・五―三で中程度の強さの黄だんであると認めたこと、顔貌、皮膚の色・光沢、筋肉の緊張度、運動反射などを診察の結果、一郎に特段の異常ないし病的症状を認めなかったので、当時同被告は、血液型不適合による溶血性疾患―核黄だんについての知識を専門誌等により得て知っていたが、その疑いを持たず、母子の血液型について検査をしないで、一郎を新生児生理的黄だんと診断し、被告井上にビタミンB1、Cの注射と遷延性黄だんについて経過観察を依頼したのみであることが認められる。

一般に、小児科開業医に対し子供の病状の診断、治療を求める場合においては、診療当時の当該地方における一般小児科開業医の医療水準以上のことを求めることはできないし、又医師としてもその限度で法的義務をまぬかれるものと解すべきである。そして、開業医としては、患者に臨床的に病的な症状が認められたときに精密検査のために設備のある病院に患者を送る方法を採っているものであり、特に現下の保険医療のもとではこのことはやむを得ないことといわなければならない。

またここで、昭和四一年二月当時の核黄だん・交換輸血についての知識、経験の普及度についてみるに、≪証拠省略≫によると、核黄だんの原因、臨床的症状、予防法等が日本で知られるようになったのは昭和三五年頃からであるが、昭和四〇年一二月に日本母子血液型センターが全国の主要総合病院五〇〇を対象に行なったアンケートによれば、回答を寄せた二三六病院のうち昭和四〇年一二月一五日までに交換輸血を実施したことのある病院が一二三院で約半数にすぎないこと、当時姫路地方において血清ビリルビン値測定の設備を有していたのは姫路日赤病院と国立姫路病院のみであり、その他の病院、開業医ではイクテロメーターで黄だんの強度を測定していたものであり、又当時までに姫路地方で交換輸血を実施したのは姫路日赤病院一例、国立姫路病院三例があるにすぎない状態であったこと、ちなみにその後の姫路日赤病院における交換輸血実施例数をみると、昭和四〇年末まで―一例、同四一年―不明、同四二年―五、六例、同四三年―約一〇例、同四四年―約六〇例、同四五年七月まで―約三五例となっていることが認められる。右事実から判断すると、昭和四一年二月当時の一般開業医の間では、核黄だん・交換輸血についての知識、経験がいまだ極めてとぼしい状態であったことを認めざるを得ない。

そこで、被告佐藤の原告一郎に対する右診断の相当性について判断するに、≪証拠省略≫によれば、特段の異常のなかった新生児でも二日の後に前記日赤病院入院時の一郎の様な悪い症状に急変することがありうること、被告佐藤の診察時に仮りに一郎に核黄だんの第一期症状が顕われていたとしても、核黄だんの第一期症状は非特異的なものであり、これを発見することは極めて困難(馬場鑑定人は、「そういう知識を持って、しかもだれか教えてくれる指導者があって、そして何十例かの経験を積まないとなかなか判定できない」旨述べる。)であり、ことに昭和四一年当時の開業医にとっては困難であったと考えられること、および原告花子、同太郎、被告井上、同幸田、証人戸田が二月五日、六日、七日に見た一郎の容態に関する各供述に照らして判断すると、被告佐藤が一郎に特段の異常ないし病的症状を認めず、これを新生児生理的黄だんと判断したことは相当であったと認められる。そうとすれば、原告一郎の核黄だんの原因が溶血性疾患であれ、その他の原因にもとづくものであれ、その原因がいずれの場合であったとしても、精密検査・交換輸血のために他の病院へ一郎を送らなかった被告佐藤の本件措置は当時としてはやむを得なかったものであって、結局相当であったと認められる。よって、被告佐藤の帰責事由なしとの抗弁は理由があり、同時に同被告には過失がなかったものである。

(二)、被告幸田について

≪証拠省略≫によれば、被告幸田は、昭和四一年二月六日(生後九日目)に午前九時ころ、当日は日曜日で休診であり、同被告は新生児については一般に診療に応じていなかったのであるけれども、原告太郎の兄と中学同級生であったことから頼まれて原告宅に往診し、原告一郎を約一五分間診察したものであるが、被告幸田はその時一郎の黄だんが顔から胸にかけて出ており手や足の裏まで出ていなかったことから中間程度の強さの生理的黄だんであると認めたこと、吸啜反射・筋肉の状況等を調べたが特に異常はなく、体重もかなりあって脱水症状なく、落陽現象もないと認めたこと、原告花子からこれまで井上、佐藤両医師に診てもらったが異常ないといわれた旨を聞き、当時同被告は血液型不適合による溶血性疾患―核黄だんについての知識を専門誌等により得て知っていたが、その疑いを持たず、一郎を生理的黄だんと診断し、当時黄だんにきくといわれたビタミンB1・Cの注射をうって治療を終ったことが認められる。

そこで、被告幸田の原告一郎に対する右診断の相当性について判断するに、同被告が一郎を診察した時は被告佐藤が診察した時点より一日を経ている後であるから、一郎の一般的容態はより悪化していたものと推測されるけれども、前記被告佐藤についての判断の項で述べたのと同様の理由により、被告幸田が一郎に特段の異常ないし病的症状を認めず、これを生理的黄だんと判断したことは相当であったと認められる。そうとすれば、被告佐藤と同様に、被告幸田の本件措置は当時としてはやむを得なかったものであって、結局相当であったと認められ、同被告の免責(および無過失)の抗弁は理由がある。

(三)、被告井上について

≪証拠省略≫によれば、被告井上は、昭和四一年一月二九日午前六時に一郎出生以来同年二月五日に退院するまで自己の経営する産婦人科医院において原告一郎の容態を診てきたわけであるが、その間一日一回午前中の回診と新生児の浴時に体重とイクテロメーターで黄だんの強度を測っていたものである。そして、生後三日後の一月三一日に一郎に黄だんの発生を認め、その後黄だんの程度はイクテロメーター値三までの生理的黄だんであると判断していたこと、一郎が乳を飲まないとの原告花子の訴えについては体重の増減度によってこれを判断していたところ、一郎の体重は前記二の(二)の(4)認定のとおりの状態であってかならずしも病的なものとは考えなかったこと、けいれん・嘔吐・高い発熱等がなく、吸啜反応・筋の緊張度合等身体全体の調子をみて、一郎に特に病的な症状がみられず、異常ないと判断していたこと、したがって当時同被告は血液型不適合による溶血性疾患―核黄だんについての知識を専門誌等により得て知っていたが、その疑いを持たず、母子の血液型についても特に検査することなく一郎を生理的黄だん・生理的体重減少と判断していたが、原告花子が黄だんについてあまり気にするので、二月五日の退院予定日に小児科医師被告佐藤に紹介して診断を受けさせたところ、被告佐藤の診断も同様に生理的黄だんである旨回答があったので、被告佐藤の指示によりビタミンB1・Cの注射をしたのみで、同日退院させたものであることが認められる。

そこで、被告井上の原告一郎に対する右診療の相当性について判断する。

先ず、一郎の黄だんについてみるに、井上医院在院中の一郎の黄だんの程度はイクテロメーター値三以上であったと認めるに足る証拠はなく、イクテロメーター値三までの黄だんならば中程度の強さであり、≪証拠省略≫によればイクテロメーター値三のときの間接ビリルビン値は一〇、〇三ミリグラム・デシリットルである(間接ビリルビン値二〇ミリグラム・デシリットルで交換輸血を考える)から、これを生理的黄だんとみた被告井上の判断は不相当とはいえない。

又、一郎は母子血液型不適合による溶血性疾患であった可能性もある訳であるが、被告井上が母子の血液型を調べなかった点については、≪証拠省略≫によれば、その当時の母子手帳には母子の血液型記載の欄はなく、これが検査記入も求められていなかったものであり、事前又は事後に異常が認められない限り一般には分娩前後にその検査をしていなかったものであること、≪証拠省略≫によれば兵庫県が医師・保健婦・助産婦を対象として血液型不適合対策実施要領を発表して血液型検査の実施励行を計ったのが昭和四一年四月のことであること等を考慮すると、被告井上が血液型検査をしなかったことをかならずしも責めることはできない。

次に、一郎の哺乳力減退の点については、一般に母親ことに初産婦による乳を飲まないとの訴えは主観的な面が強く、個人差もあるので、この点を体重の増減度によって判断していたことは相当であると考えられ、新生児の体重が横ばい状態のままで生後八日目までに生下時の体重に戻らなかったとしてもかならずしも病的なものとはいえず、病的な異常があるか否かはこれと顔貌・皮膚の状態・筋緊張度など新生児の全体の容態をみて総合的に判定すべきものと考えられる。そこで一郎の一般容態がどの様なものであったかについては、二月五日、六日に佐藤・幸田両医師が診たときにも前記のとおり一郎に病的な症状が何んらみられず健康な状態にあった訳であるから、被告井上がこれを生理的体重減少であって異常でないと判断したことは不相当ではなかったものと認められる。

なお、二月七日午後の日赤病院入院時における一郎の容態からみて、井上医院在院中に核黄だんの第一期症状が発生し、被告井上がこれを見落していたとも考えられるが、右症状を発見することは前記のとおり専門医師以外の医師には非常に困難なことであったこと、一郎の一般容態が右のように悪くなかったことからして、これを看過ごしたとしてもやむを得ないことと考えられる。

それから、二月五日に一郎を退院させて以後の経過観察をしなかった点については、被告佐藤から一郎が生理的黄だんであると診断されたことでもあり、被告井上は小児科ではないから、以後一郎に仮りに異常が生ずれば小児科へ診察を求めるべきであるとして、同日一郎らを退院させたことは、産婦人科医である被告井上としてはやむをえない措置であったというべきである。

右のように個々の点について被告井上に特別問責すべき点がないのみならず、以上の諸点を総合してみても、同被告は一郎につき診療義務を一応つくしたものであり、同人に病的症状なしと判断したことは当時としてはやむを得ないことであって、結局本件診療措置は相当であったと認められる。そして、≪証拠省略≫によれば、当時姫路日赤・国立両病院においては他からの間接ビリルビン値の測定の依頼に応じていなかったことが認められるから、一層、新生児に病的症状のみられない段階において、一般産婦人科開業医に対し、精密検査を右病院に依頼したり転院をすすめる措置を採ることを期待することができなかったと認められる。又、前記のとおり昭和四一年二月までに姫路地方における交換輸血の実施例が四例しかなかったという事実は、年度によって核黄だんの発生率にさしたる変動はないはずであるから、当時の一般開業医の知識・臨床的経験をもってしては、核黄だんについて早期に予測し適確に判断措置することがいかに困難であったかを如実に示しているものと解されるのである。

結局、被告井上の帰責事由なしとの抗弁は理由があり、同時に同被告には過失がなかったものである。

以上の理由により、被告ら三名にはいずれも診療契約の債務不履行ないし不法行為が存したとの証明がないので、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求は理由がないことになる。

九、よって、原告らの被告らに対する本訴請求はいずれも理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 桑原勝市 裁判官 窪田季夫 裁判官清水正美は転任につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 桑原勝市)

<以下省略>

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